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過去記事より−4

その4。4年生(第10〜12セグメント)

”安定して立つ”の3種の質(第10セグメント終了)

2014.05.09

昨日まで、プラクティショナートレーニングでした。
いよいよ4年目に突入。
で、予想もしていなかった一般からモデルクライアントを迎えてのFI(機能的統合・個人レッスン)実習。
加えて濃いレクチャー、生徒同士での模擬FI。
脳みそがヘトヘトです。

何を感想にまとめることができるだろうか?と思っていたのですが、今日になって体感的なことであれれ?そういえば・・・というものが浮上してきたので、まずはそれから。

今回セグメントでのATMのテーマは、おおよそ「胴体のコントロール」に関するものをいくつもやりました。
楽に体を安定させるということが、FIをする上で自分の体勢を整えるために必須なので、4年目のこのタイミングでということなのだと思います。

ATM後に”安定感のある立つ・歩く”を感じる、ということがこの2週間の中で何度かあったわけですが、言葉では同じ”楽で・バランスのとれた状態”にも3種類の質があったことにさっき気がつきました。

ひとつめは、片側だけやった後に立って左右のコントラストをみる中で感じた「均質感による安定」。
骨・関節・筋肉などを感じない。どこか特定の箇所で支えている感じがしない。半身だけ透明になったような。
一瞬自分の体が半分感じ取れなくてびっくりしたけど、要するにあんまり軽くて倒れる気がしないバランスのよさ、というか。

ふたつめは、コアマッスルに働きかけたあとの「大黒柱の安定」。
これは誰でもイメージしやすいですね。どおーんと太い柱または力強い支えがあって倒れない。静止はもちろんのこと動いてもそれはどこかにある。

みっつめは、一番表現しにくい「針のような安定」。ピーンと細くて硬くてまっすぐ。
針ならすぐ倒れるじゃないか!とお思いでしょう!
感じとしては強力磁石の上に針を立てたイメージで、倒れない。
体じゅうが細い中心軸に向かって吸い付いてくる、で、その一塊の体が足元の一点で地球に吸い付いている。
歩くととても細い線の上をバランスよく歩いている気がする。
この感じは初めてだったので最初よくわからず、歩いたり立ったりしてやっと表現する言葉が見つかりました。
消えるのがもったいなくて、休憩時間のあいだに足を閉じたまま目をつぶって長いこと立って味わっていました。
しかも部屋の隅っことかではなく、あえて広ーい部屋のど真ん中の落ち着かない場所で。
どれぐらい安定していられるかな???という実験も兼ねて。

ATMは、”このレッスンをするとこういう感じになる”という限定的なものではないので、誰もが感じ方が違うし、再現を目的として同じレッスンをやっても意味なし。
なので、その時感じた貴重なものを、とにかくそのまんま記憶として保存しておきます。
ヒトという生き物の「安定」に関する可能性として。

あと、今回かなり楽しんだのが、個人的な”気分”へのフォーカスでした。
「胴体のコントロール」に関するATMシリーズをする中で、いくつものレッスンが私にはとても難しいものでした。
できない。つまり全然コントロールできない。結果的にバランスも安定も掴めない。
しかも、”できない”ということとはまた違う次元でなぜか”この動きは嫌い!””だんだん腹が立ってくる!”状態。
そうすると、ものすごく嫌な自分が出てくるわけです。この3年間に変化したつもりだった、手放したつもりだった気分全般。
不安・怒り・ふてくされた気分・自分に一番向いていない場所にいるような後悔・・・
で、この気分を徹底的に自分の中で増幅してみることにしました。で、その増幅した”1年生の私”と遊んでみることにしました。
時にソイツの言うままに環境を遮断してみたり、時にその嫌なヤツを隠す「更に嫌なヤツ」をしてみたり、隠す度合いを観察してみたり。
なので、”ソイツ=私”になることもなく、”ソイツは私じゃない”でもない。
あえて言うと、”今私はどれくらいソイツなのか”を見ている・・・か?

残り3日になったとき、このまま”できない”でグレていてももったいないという、そこは大人の判断で、できている人の助言をもらいながら動きを見つけてみようと探ることしばし・・・
あら、できたやん!
となると、できる場合できない場合の違いは何?
ああ、こことここの余分な動きが邪魔してたのか、なーんだ。
練習してどっちの場合もできるようになってふと気づくと、ソイツはどこかへ行って、もう遊べなくなっていました。とさ。
めでたしめでたし。
また何かの機会に登場するまで、サヨナラです。

その他、実習の中ででっかいお題(それ一生かかるんちゃう?)をいただいたりなど、いろんなことがパラレルに進行していた2週間でした。
あー、おもしろかった。。。

第11セグメント終了から一週間

2014.09.01

夏のプラクティショナートレーニング終了から一週間がたちました。
卒業に向けていっそう学ぶことが山盛りになっていました。

トレーニング後にこんなにぼおっーとしたのは初めてかもしれない。
期間終盤からとにかく眠い。
眠いというほどではないときも、アタマが回らない、考えが先へ進まない。
ネットに接続すれば、その情報量とスピード感にあきらかについて行けず、そそくさと切りたくなる。
体のバランスが良かったりめちゃくちゃ悪かったり。

今回は毎度のレッスン後の体感が微妙だけど多彩で、それの消化に手間取っているのかも、という解釈で、この一週間は可能な限りぼおっーとすることを自分に許して過ごしていました。

レッスンの動きによって、より楽な体の使い方やより無駄な緊張のない状態を発見することができる。
時には発見できずに、より高い緊張状態で終わることもある。
そんな体感を、脳が選び取り、学習し、自分のものにしていく。
だからその過程の、背景となる環境や過ごし方はできるだけ快適でありたい。
・・・と思うのです。せめて自分自身からの強迫的なものは取り除く。

とにかくすべてにスローのままでよしとする。
予定は最小限に。
動きたくなければ昼間でもゴロゴロする。
そして日常動作の中での移り変わる体感ーーースカイフックの楽さから強烈な首肩コリまでーーーを丁寧に味わう。

ようやく一週間たって、普通のリズムに近づいてきました。
体の感覚もなんとなくまとまりがついてきたような。
でも、やっぱりこうやって書いている文章が、どうもとりとめもなく。。。

次のセグメントまで、少し長めに時間があきます。
そして次が最終です。
この期間また、ゆっくりと時間をかけて消化し、何らかの自分なりの統合がされていくことになります。

「スローダウン」「スモールチェンジ」という先生の声が耳に残っています。

何をしているかに気づき、どうなれるかを知る

2015.01.28(こちらは公開していなかったものです)

1月20日に、4年間のトレーニングを修了しプラクティショナー資格をいただきました。
とても味わい深い4年間でした。

第11~最終セグメントの間、フェルデン本を読み直したり、過去のセグメントのビデオを見せてもらいに行ったり、ノートを読みなおしたり、かなり集中してもう一度自分が何を学んできたのかに向き合っていました。
そこで出て来たものはなんと、、、あらーーー!わかってないなー私!!!、、、でした。。。^^;
おかげさまで(?)最終セグメントはまるで新入生のような気分でした。
でもたぶん、ぐるーっっとまわって、4年前よりはほんの数センチ?数ミリ?上には居るのかな?
そのぐるーっっとの時間が本当に必要でかけがえのないものであることは、間違いなしです。
少なくとも私の学習過程・学習スピードには。

何を学んできたのか・学んでいるのか・学び続けようとしているのか?

1年以上前グループレッスン開始準備の時点から今まで、このメソッドをどんな言葉で人に説明するのか、ずーっと試行錯誤の繰り返しでした。(わかってないなー!な私なので当然ですが。。。)
文章にすれば長くなる。キャッチコピーでは伝わらない。言葉では切り口があっち行ったりこっち行ったり。途中でモゴモゴ。後で後悔。。。


聞く側の方の固定観念や常識の土壌なんかにもよって、同じ単語が違う受け取り方になる。
「ああ、なるほど。こうこうこういうことなんやね」
「・・・うーん・・・いやー・・・ちょっと言いたかったことと違うんですが(でももう修正不可)」
でもそれもまた良し!何かを人に伝えた。それでその人も私も脳みそ動いた。オッケー!

で、いま旬の言葉はこれです。結局一番ベーシックなセリフに戻ってちょっと変形。

「何をしているかに気づき、どうなれるかを知るための、動きをとおしたレッスン」

やっぱりわかりにくい?ざっくりし過ぎ?
そうですね。

言葉を置き換えれば例えばこんな感じ。
「体の使い方の癖に気づいて、痛みを起こさない動き方を見つければもっとやりたいことができるんだとわかる、体操」
「いつも試合で実力が出せない時、体のここがこうなっていると気づいて、試合前にそうならないようにできたら楽しく試合できてしかももっと勝てるとわかる、トレーニング」
「浴びるほどお酒を飲まずにいられないのは飲んだ時にからだがこうなって気分がこうなるからと気づいて、飲まなくてもこうすれば心地よくいられると学べる、体操」
「今の自分はちゃんとやっているし評価ももらってるしこれでいいんだけど何か違う感じがあることに気づき、本当はこんなふうに生きたいんだと、体を動かして体の変化をとおして知るレッスン」
「呼吸をものすごく詰めてやっていることに気づいて、しっかりいろんな呼吸ができるようになったら自分がダメ人間じゃないとわかる、レッスン」
「過食は不安感からきていてそれは不安定感からきていると気づいて、軸を整えてバランスを回復すればそんなに食べる必要ないと知る、体操」
「人と対する時はいつもからだのここがこんなふうに逃げていると気づいて、ちゃんと逃げることもちゃんと逃げないこともできるようになれば対人関係がもっと楽になると知る、レッスン」
「走る時、体のここに無駄な緊張や逆の動きがあると気づき、もっと速く長く(永く)走れるとわかる、トレーニング」

そして、すべての例の先に新鮮な自己イメージの兆しが見える。(また消えたりもする^^; あ、スミマセン)

もちろんスンナリいかないこともあるのは、恥ずかしながら自分で実証ずみです。
それぞれみんな抱えたものやしがみついているものが大きかったり複雑だったりします。時間もかかる。
でも、確かになにかが変化する、それも真です。

4年かかって、メソッド定番のセリフにようやくこんな置き換えができるようになりました。
プラクティショナーの先輩方からみれば、あまりにも当たり前なことで笑われそうですが。
で、こんな置き換えができたところで、言ってみれば目次か序文のところ。
さあこれからようやく本文を読んでいくところにいるんだなあ、、、と、向かう先の果てしなさに気が遠くなりそうやらワクワクするやら ^ ^

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