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過去記事より−3

その3。3年生(第7〜9セグメント)

濃厚過ぎな、第7セグメント終了

2013.05.12

3年目初めのトレーニングが終了しました。
完全集中でした。

期間中の生活の中で起こる事や、思いがけないところで与えたり受けたりしたダメージ、カリキュラムの流れ、レッスンやレクチャーのタイミング、同期生のコメント、トレーニングで感じたいくつかの体感、個人レッスンから得た学び、、、
個々についての感想や感覚を少し離れて期間全部を見渡すと、あまりにもガッチリと嵌っていて、呆れるくらいです。

ここからの2年は、クライアントに1対1で行うレッスンのためのトレーニングに突入するのですが、その初回に相応しい厳しくて宝のような14日間でした。

起こる事感じる事ひとつひとつに振り回されながら、同時に観察し続け、「起こっていることの背景を愛する態度」をどうにか維持できたのは、ここ半年に出会い読み込んできた本のおかげです。

お題は山積み!

第8セグメント終了

2013.08.25

スペシャル暑い今年の8月。
またお盆をはさんで2週間のトレーニングを受けていました。

FI(個人レッスン)ができるようになるためのトレーニングとして、さらに濃厚になってきました。。。

今回はあまり新しいことを積み上げることなく、今まで学んできたことに繋がりがつくように、というテーマでしたので、とても有難かったです。

ここまでのセグメントで"浴びて"きた講義と実技練習と自分自身の体感が、いろんなレベルでとっちらかってフワフワ浮いたままだったわけですが、お互いに微妙な"引力"を持ちはじめた、というイメージです。
まだまだちゃんと繋がらない、とてもじれったい感じがなんともむず痒い~のです。

観たり触れたりして得た情報を、相手のレッスンになるようにするには、何をどうすればいいのか?
といって、何かをしようとするのでも、何かを変えようとするのでもなく、相手も自分もまずそのままでいること。。。でもまあ、何ごとかはするわけで。。。
文章にしようとすると、ワケわからんですな、まったく ^^;

観ることの質、タッチの質を上げていく、というのも今回よく言われました。

まったくもって、難しいことだらけです。
あとセグメント4回しかないですよ~大丈夫ですかぁワタシ。。。

でも、、、
先生の影響でしょうか、今回あらためて、このメソッドに『恋しちゃい』ました (*^^*)

惚れた人を誰かに紹介するように

2013.09.16

前セグメントで、フェルデンに惚れ直してしまったため、「よし!グループレッスンやるぞ!」にさらに勢いがつき、とうとう10月から始めてしまうことにしました。

ひと月はまだ体験レッスン月間です。

いろんな人にフェルデン体験していただきたいからなのですが、いやもう、なんといっても私自身が「体験レッスン」です。。。

なんだか、わけのわからないワクワク感にかられて、思い切り飛ばして準備をしてきましたが、HPの公開直前にまずふとブレーキがかかり、再度アクセルを踏んでまた進み、今日はまたちょっと減速。。。

外の大雨のせいか、、、違うな。準備にハマり過ぎて、自分のためにATMレッスンをすることを忘れていたからです。たぶん。

気持ちとからだのバランスがとれていなくて、前のめっているらしい。

でも、こんな行ったり来たりな感じで9月いっぱいを過ごすことになるでしょう。

いやいや、きっと10月いっぱいも。

あ、そうか、きっとその先も。。。

資格はティーチャーですが、レッスンを受けてくださる方より何かが優れている、というわけではなく、他の習い事のように自分のスキルを人に伝授するというたぐいのものでもないし。

ただただ、惚れてしまった人をちょっと照れながら誰かに紹介するような、または、自分が今トレーニングで与えてもらっている心地よさとか楽しさとか驚きを、来て下さる方にできるだけそのままスルーできるのが理想です。

だから、思い入れたっぷりに準備してきたけれど、ここからはどれだけ自分カラーなんか捨てちゃえるか、ですね。

他のプラクティショナーさんたちのお考えはわかりませんが、私はそんな感じです。

背骨の側面を使う?

2013.11.19

今日のレッスンは夜に1クラス。

ここ数日、レッスン案内のチラシ配布でやたら歩き回ったりして足腰にちょっと疲れが溜り気味。
そんな訳でスタジオまで歩く途中で、左腰に痛みが出てきてしまった。
どうしたもんかなあ。。。

で、ふと思いついたのが、体の軸を背骨ではなく「背骨の右側面」に置いてみよう!
これ大正解でした。意識をそう向けるだけで微妙に重心移動が変わって、右足をしっかり軸にすることができる。
少しびっこを引いているように感じるけど、痛みが止まる、というのはその時点での一つの正解。

そのうち今度、右の肩甲骨下あたりに痛みが出てきた。
ならば「背骨の右側面軸」にするために、どこかで余分な仕事をしているはず。どこだ?
ちょっと右肩が威張ってるね。じゃ、ちょっと謙虚な角度にしてみようか。。。
よっしゃー。いいね!

という感じで、あっと言う間に45分の道のりが終わり。
何がおもしろいんだ、そんなこと。
と言われてしまいそうだけど、この探求がめちゃ楽しいのです。

レッスンはおもしろむずかしい

2014.02.05

フェルデンのレッスンは、そういうもんじゃないんだよな。。。とはわかっていても、ついつい来て下さった方には何か「効果」を持ち帰っていただきたくなってしまい。。。
あの方にはこんなレッスン、この方にはこんなアプローチ、、、とあれこれ考えて。
それ自体は、相手を観察する、添うということでは悪いことではないと思うけど、それをするとどうしても自分の中で「こうなって欲しい」ものが湧き出てしまうから厄介。
一生懸命になればなるほど、レッスン時間そのものの柔らかさ(?)やレッスン後の生徒さんの輝き(?)が感じとれなくなって、更にあせって力が入り、、、みたいなことに。

この傾向を、払拭しよう!とするのもまた逆効果で、さあ困った。

そんなこんなブレブレの状況が数回続いてちょっと迷路気分だった夕べのレッスン。
もうどうしようもなくなって、湧き出る「こうなって欲しい」にも逆らわず、困った感やあせりもちゃんと味わいつつ、自分の声のトーンに気を向けるようにし続けていたら、とてもやりにくそうにされている動きの部分で私にも生徒さんにも急に笑いが出てきて・・・
結局その時はうまくできなかったけど、体の反対側でやったらぎこちなくも新しい動きが生まれ、「あ、できた」「やりましたねー!」と笑い合ってレッスンを終了したのでした。

うーん。おもしろい。

股関節の自由さ、の一例

2014.03.07

あおむけに寝て下さい。
手足を自然で楽なところに伸ばして、ゆっくりと体の重みを床に預けてください。

では、右の足先をゆっくりと、ほんのちょっとだけ、より外のほうへ廻してみて下さい。
で、また元に戻す。
この単純な動きをゆっくりと、そしてとてもとても小さな範囲で繰り返してください。

動きながら、右膝に動きは感じられますか?

やめて、しばらく休んでください。

(ここからは、くれぐれも無理や痛みのないように)
もう一度同じ動きを、今度はもう少し足先をさらに外にまわそうとしてください。

膝も右を向き、膝が自然に曲がりたくなるのを感じられますか?

これは、とても基本的なレッスンのほんの導入部です。
やってみて、膝が曲がることを感じられる方、「当たり前やん。それがどうしたん?」と思う方。
よかったですね。

いろんな人にレッスンをするようになって、膝なんか曲がってこないよ、というたくさんのからだに出会いました。
こんなにたくさんの人が、この段階でいろんなブレーキをかけているということに驚きました。

こんな小さな動きのことですから、体が硬いとかそういうことは関係ありません。
単にご自身の脳からの指令が、そうなっているんです。無意識に。
どこで固めているかは、その人それぞれです。脚の付け根の前側だったり、おしりだったり、下腹部?背中?胸?肩?首?口?
私が提案したいのは、「その緊張がないほうがちょっと幸せじゃありませんか?」ということです。
そして、レッスンの後でスルっとこの動きができるようになると、確かにからだのどこかが、少し幸せな感じになります。

では、反対側の足でもやってみてください。
どちらの足がやりやすいですか?

動感覚を磨く(第9セグメント)

2014.03.28

そういえば、いつもセグメント後の印象や感想を書いていたのに、1月の第9セグメントは書いていませんでした。
なんでだろう?
とても深い余韻は残っていたんですよ。
でも、たぶん、ゆったりしていたんだと思います。印象や変化が。
それはこのたびのトレーナー、ステファン先生の持つ空気感そのものかもしれません。

なんで今頃その話を持ち出したかというと、セグメント中のノートを読み返していたんです。
で、今の状態にスパっとはまった箇所があったので。

人間の六つ目の感覚とは・・・?
いわゆる第六感(ヤマ勘?)ではないですよ。
それは「動感覚」です。
受容器(感じる箇所)は関節のところ。
私たちはこのメソッドでいったい何をしているのか?のひとつの応えとして、すごくクリアになった瞬間でした。

何のために必要かというと、
1、努力感を察知できる(体にとっての限界かどうか?)
2、空間内での自分の位置関係(形)を知る
とメモってありました。完全な記憶でありません。もっとあったかもしれない。あしからず。
ヒトがなにがしかの動作をしている時には、ずうっとこれらを感知しながらバランスをとったり次の動作を判断しています。
なので、この六つ目の感覚を磨いて(脳との繋がりを良くして)繊細になればなるほど、動作が洗練されていくことになります。
という話でした。

この話になぜ今ハマったのかというと、この、”動作”というところを”行動”に置き換えても同じことだからなのです。(というフェルデンクライスの考えかたが好きです!)
1、今やっているその行動の努力感がわかるかどうか。つまり、無駄なこと矛盾すること自分にとってふさわしくないこと、もしかしたら単に意地でとか(^^;)をしてるかどうかが自分でわかるか。
2、ひろーい意味で世界の中での自分の位置・役割・今の形を知る
なので、体の動感覚を磨くということは、行動が洗練されていくことに繋がる。
すると、最大限に命を発揮できる。急に大きい話になってしまったけど、つまりはそういうこと。に、なる。

ここ最近「位置・役割」について考える機会が多くて、というか考えざるを得ない状況が多くて。
さらに、”動”感覚というからには、動いている中でこそ感じるものなわけで、どうもここのところ止まって考えてばかりいたことに気づかされたからなのでした。

はい。
そんな桜が咲き始めた日の覚え書きでした。

と終わろうと思ったのですが、もうひとつ。
受容器があるのが関節、というのがとても興味深いなあ、と。
プロセスワークのミンデルさんが、「うしろ向きに馬に乗る」という著書の中で、<内的な動作にアクセスするには、各「関節」部分にそっと働きかけるようにすると効果的である>と書いていたり、合気道の植芝盛平開祖が関節技のことを「関節のサビ(ゴミだったっけ?)を取る」と表現しているのと、何か共通性があるのかもしれませんね。

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